1年分のもやもやが大気圏で焼けうせてた話

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NEWS ARENA TOUR 2018 ”EPCOTIA"における小山慶一郎さんが、はちゃめちゃにかっこいい。かっこよくて、かわいくって、楽しそうで、幸せそうで、宇宙に浮かぶ星々と張れるくらい輝いている。そんな姿を見れたことがとても嬉しくて、その衝動にまかせてこんなブログを作ってしまった。

……のはいいものの、なぜかっこいい小山さんを見て涙が出るほど嬉しかったのか、楽しそうにしている小山さんを見て心底安心したのか、こんなにも幸せをかみしめているのか。
それは、私にとって昨年のツアー”NEVERLAND”が、楽しかった半面、同じくらいかそれ以上にしんどいものでもあったからなのだと思う。

職種や性別を問わず、仕事のできる人が好きだ。想像力が幅広くて層が深くて、周りのことを考えたうえで、目標や目的を見失わず、最短距離を設定して、かつそこへ最速でいける方法を見出せる人。ちゃんと筋が通っていて、仁義がきれる人。先の先の先まで、いいことも悪いことも考えて準備ができる人。時には本意じゃないことでも、きちんとやり抜く人。そういう人を心底尊敬しているし、私もそんな風になりたい。

私は小山さんと同い年なので、小山さんの活躍を嬉しく思い、応援している気持ちでいっぱいな一方で同じくらい悔しいと感じることもある。これに関してはこじらせてるな、と自覚はしている。

NEVERLANDツアーの初日のことを今でもたまに思い出す。あの頃はTwitterでいろんな意見が絶え間なくといっていいほど投稿され続けていて、私はどんな顔をして初日公演に入ればいいのか、よくわからなかった。「なにがあっても、ステージはプロとして全うしてほしい」と願っていたけれど、それが叶わなかった時のことを考えるのが怖くて、とてもじゃないけどうちわは持てなかった。だからといって決して小山さんが嫌いになったわけでもなく、ただただもどかしい思いだった。

幸か不幸か引き当てたのはアリーナ席で、センターステージの少し後ろの、花道とリフターの中間くらいの場所。いわゆる”埋もれ席”のないアリーナ構成に「にゅすちゃんの愛を感じるね……」と言いながらも、ある種の「答え」が示されるまでのカウントダウンが始まってしまったことに心がざわざわしていた。

私の願いは、やっぱり……というとあれだけど、叶わなかった。オープニングでムービーが流れ、メンバーが映るとそれだけで歓声が上がる。もうすぐ、やっと推しに会える、そんな狂おしいほどの喜びや、これからNEWSが魅せてくれるNEVERLANDの世界への期待が溢れているはずの空間が、一瞬静まり返った。小山さんが映し出されているときだった。

会場がどよめいた。それでもコンサートは進行して、センターステージにNEWSが現れる。私の席から一番近い場所にいた増田さんは、満面の笑顔としか言えないくらいの表情だった。一方で、小山さんには笑顔がなかった。それどころか怯えているような目をしていて、表情は強張っていて、私はそれが、とにかくショックだった。

騒動の性質上、ああなることは容易に想定できたはず。それを超える現実に圧倒されたのか否かは私にはわからないけれども、「プロ」なんてお世辞にも言えない姿を目の当たりにしてしまった私は、あんなに近くの席を当てたのに、小山さんのことをまともに見ることができなかった。残念ながら「どんな時でも私は味方だよ!!」なんて微塵も思えなかった。そう思えない自分も少し嫌だった。

あの状況の中でステージに上がるのがどれだけ怖かったのか、それはきっと私の想像をはるかに上回る恐怖だったと思う。だけど、コンサートという場所では、例えば(規模感はぜんぜん違うけど)私が二日酔いでも客先でアポがあったら這ってでも行くように、本意じゃない仕事も無理やり笑顔で乗り切るように、きちんとプロとして仕事をしてほしかった。あの日あの場所にいた人たちが、コンサートをどれだけ楽しみにしていたのか、1年近く会いたくて会いたくて仕方がなかった、その気持ちを踏みにじられたとすら思った。
なぜなら、私が二日酔いだろうが、本当はやりたくない仕事だろうが、それは相手には関係のないことだから。

小山さんのソロが終わって次の曲へ移る時、小山さんが肉眼でも表情がわかるくらいの距離にきたのだけど、やっぱりその時も怒っているような、ふてくされているような、泣きそうな目をしていて、オープニングで生まれたもやもやとした気持ちが、少し大きくなった。
小山さんのソロでは席を立つ人もいたけれど、それを批判なんてできない。好きだからこそ見られないものだってある、と思う。ファンならなんでも受け入れろというのは、少し酷だ。

もちろんそんな状態がずっと続いたわけではなく、札幌初日から約2ヶ月あけて入った広島公演での小山さんには笑顔も増えていたし、札幌の時よりはうちわも増えているように見えた。けれど私はやっぱりもやもやしたままで、その翌週、東京ドームでのオーラスの「U R not alone」で号泣する小山さんを「気持ちはわかるけど、泣きたいのはこっちだよ」とぼんやり眺めていた。

24時間テレビはリアタイする気持ちにはなれなかったけど、録画はした。時間があるときは「チカラウタ」の番協に応募したし、当選したら素直に「嬉しい」と思った。収録時の小山さんは共演者の方々を気遣っていて「好き……」と思ったし、休憩時間の質問コーナーで言っていたカメラアプリは同じものをダウンロードして、それを使う時はいつも彼が使っていると言っていたフィルターを使う()。その日の夜は高ぶった気持ちが抑えられなくて、仕事の忙しい相方を呼び出したりもした。
だけど、雑誌やテレビで見る小山さんは、まだ目が死んでいるように見えた。どうにもこうにも、とにもかくにも、もやもやしていた。

それでも私は、今年の3月31日も札幌にいた。もちろんEPCOTIAツアーの初日参戦のために。今年もオープニングムービーから始まり、そのあとすぐにNEWSが現れる。1曲目はもちろんアルバムのリード曲である「EPCOTIA」で、物凄い熱狂の中、増田さんの歌い出しから始まり、加藤さんに続いて、小山さんのパートに入る。

そこにいたのは、プロのアイドルの小山さんだった。驚くほど上達していた歌声に、私は涙ぐんでいた。表情もどこか晴れやかで、何か吹っ切れたというか、一皮向けたというか、一段上に到達している感があった(上目線)。
なんて都合がいいんだ、と思われるかもしれないけど、不思議なくらい、あんなにも私の心に居座り続けていたもやもやは、そこにはもうなかった。

ツアーが始まる少し前に「いまボイトレを頑張ってる。コンサートではみんなを驚かせるから!」という旨のコメントの載った雑誌を見た。そんなの宣言しなくてもいいのに、ダメだった時の逃げ道を作らずに、有言実行してきた小山さんは、私の大好きな小山さんだった。歌だけじゃなくて、煽り方やソロの演出、ファンサービスもすごくよくって、かっこよくってかわいくって、楽しそうで、幸せそうな小山さんがそこにはいた。そんな自担を見れることが、なんて幸せなんだろうと思った。

札幌初日から3週間あけて入ったマリンメッセ福岡では、スタンド最後列だったにも関らず「…!?これ絶対私にだ……」というファンサービスをいただいた。最後列まで気を配って、あの長い腕をめいっぱいにあげて「一番上も見えてるぞーー!!」と言わんばかりに、笑顔で指をさしてくれた小山さんはまぶしいほどにキラキラしたプロのアイドルで、紛れもなく仕事のできる男だった。その事実が嬉しくて嬉しすぎて涙が出た。ほんの1、2秒くらいの出来事だけど「ああ、私の好きな小山さんだ……」と崩れ落ちた。

1年という期間が長いのか短いのかはわからない。それでも小山さんが示してくれた答えは、私にとっては完璧だった。


また先を越されたようで、どんどん上にいってしまうようで、それは悔しいし少し寂しいけれど、今はこの幸せな気持ちをかみしめようと思う。
自担の小山さんがはちゃめちゃにかっこよくて、かわいくて、楽しそうで、幸せそうで、キラキラしている姿を見られることがどんなに幸せなのかを知ってしまったから。