ため息ひとつ無意味にしないで

あれからまだ10日くらいしか経ってないなんてうそみたい。これが悪夢だったらどんなに幸せだろう。誰か「ドッキリ大成功!!」って看板持って現れないかな。なんてバカみたいなことばかり考えてる。一方的に与えられる情報にひたすら殴られてる気分。もうアザだらけだよ。

前回の記事でも書いたとおり、EPCOTIAツアー初日の小山さんはほんとうに、ほんとうにかっこよかった。それはオーラスでも健在で、あの日の小山さんもはちゃめちゃにかっこよかった。どれくらいかっこよかったかというと、(幸運にも、小山さん多めサイドのステージ近くで見ることができたのもあって)隣に入っていた相方が「爆イケ一郎……」「慶一郎かっこいい……!!」と繰り返し言ってくれたくらいかっこよかった。一時的とはいえ他担ですら「慶一郎かっこいい……」botにした自担が誇らしかった。

だけどその彼は、それから2週間とすこし経ったころ、自らが出演する帯番組の冒頭で瞳をうっすらと赤くして、唇を震わせながら、時折言葉をつまらせて、頭を深々と下げていた。
おそらく日本でもっとも影響力のある週刊誌で報じられたのをきっかけに、他のメディアでも大々的に報じられたのは決して不運なわけではなくて、これまでこうなっていなかったことが幸運だっただけなんだと思う。
私は小山さんと同い年なので、同い年の人間が今回のような行為に及んでいたのは「ダサい、バカみたい」としか思えないし、昨今の風潮からしても活動自粛は当然だと思う。ニュースキャスターとしての側面ももつ人なら尚更だし、局側からしたら、そんな疑惑のある彼を報道番組で起用し続けるのは、視聴者に不信感を与え、スポンサーを失う可能性もある深刻な問題につながりかねないから。

とはいえ、私は彼のファンだしNEWSのファンなので、自粛が発表されたときは頭が真っ白だった。「一定期間」とだけ知らされた自粛期間がどれくらいのものになるのか、15周年記念ライブをはじめ発表済の仕事がどうなるのか。不安な気持ちや、申し訳なさのようなものがこみ上げた。同い年の社会人としての自分、ファンとしての自分の気持ちがぐちゃぐちゃに渦巻いていて、もう正直自分でもよくわからない。

ただひとつ、今回の騒動関連でよかったなと個人的に(上から目線で)思っていることは、週刊誌に載るという情報が出てからの事務所の初めの対応だった。
おそらく出版社側から「こういう内容の記事がいついつに載ります」という連絡を受けてから、すぐに関係者内で情報共有した上でマスコミ向けにFAXを配信、その直後に本人が生放送に出演、その翌日には加藤さんも生放送でコメントできたのは、タイミングに助けられているのが皮肉ではあるけど、だけどすごくよかった(何様)。

……と思うのと同時に、最もひっかかっているのは、ファンに対する公式な説明がなにひとつないこと。メディア対応はよかったかもしれないけど顧客対応が最悪。いつも出演(掲載)情報を伝えてくれるファンクラブからのメールは、あれから1通も届かないし、有料のWebにも何かしらのお知らせが掲載される気配もない。小山さんの活動自粛発表前日に「15周年記念ライブのチケット申し込みは明日が締め切りです!」という旨のメールが届いたきりというのは、置き去りにされているような、軽視されているような感じがしてしまう。そんなつもりは1ミリもないのに、被害者意識みたいなものが生まれそうでものすごく嫌だ。

だって、あんなに楽しみにしてた味スタでのライブの開催可否もわからなくて(当落迫ってるのに)、開催されても手放しで「おめでとう!」なんて言えないし思えない状況になってて、でもステージを見たいっていう気持ちは変わらなくて、でも、っていう中でこんなに放置されて、不安がるなってほうが無理でしょ!?バカにしてんの!?お金払って不安になるって謎すぎる。足元見られてるようで腹立たしい。

小山さんのラジオ番組に、増田さんが代理で出ることが決まったというのも、メディアを通じて知った。たらればだし、1ファンが何言ってるんだと思うかもしれないけど、だけど自粛が決まった時、それに伴ってどういうことが起き得るかは全ては無理でも一部はわかるし想像もできるわけで。(例えばだけど)メディアにFAX配信したのと同じタイミングで「活動自粛に関するお知らせ」のようなものを出して、そこで「それに伴い、今後出演予定だった番組の出演が延期になることや、他のメンバーが代理で出演する可能性があります。決定次第速やかにお知らせいたします」くらい言ってくれてもバチは当たらないと思う。この放置されいる感じや不安もこれほどではなかったと思うし、この状況下でも最低限の情報は今までどおりに発信することができたのにな、と勿体なくも感じる。

そんな中で強く願っているのは、今後なにかしらの進退を判断する偉い人が、タイミングと選択を間違えないでほしいということ。スポーツ紙かなにかの報道で、自粛期間は「2週間」や「数週間」というのを目にした。もちろん自粛期間の定めなんてないし、いつだって活動を再開することはできる。それで得られる利益もあると思う。世間の人たちも、もしかしたらもう忘れてるかもしれない。そんなに気にはとめてないのかもしれない。
だけど、忘れてなんてなかったら?例の週刊誌がまだ何かネタを持っていて、それを最悪のタイミングで出されたら?今よりも激しく批難されて、袋叩きにされるところが目に見える。本人や事務所はもちろん、復帰した彼を受け入れる番組、そしてメンバー、すべてがその対象になってしまうのが怖い。それによる各所への影響はもっと怖い。だから、本当にこれだけは、分かりきってることだろうし、余計なお世話だし、こんなところで言っても届かないけど、でも絶対誤らないでほしい。

(さっきも少し触れたけど)このまま何もなかったかのように味スタでのライブが開催されたら、心から楽しめる自信はない。涙の謝罪後に嗚咽まじりのフルスイングを聴くのも、U R not aloneで「みんなの声を聴かせて、力を貸して」と言われるのも、今は絶対に嫌だ。不可抗力的な問題を乗り越えてきたことと、今回のことを同列にするのはちょっとどころじゃなく無理がある。
受け入れられないどころか、好きでいられる自信もなくて、でもそれは嫌だから、それが怖い(我ながらちょっと何言ってんのかわかんない)。

それでも今の私はどうしたってNEWSが好きだし、好きでいたい。一緒にステージに立っているところが見たいし、はちゃめちゃにかっこいい小山さんをまた見たい。なんの曇りもなく「楽しかった」「かっこよかった」「幸せだった」「好き!!!」って言いたいし、今のこの状況のことだって「あの時はしんどかったねえ」って、お酒飲みながら笑って話せるようになりたい。

1年分のもやもやが大気圏で焼けうせてた話

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NEWS ARENA TOUR 2018 ”EPCOTIA"における小山慶一郎さんが、はちゃめちゃにかっこいい。かっこよくて、かわいくって、楽しそうで、幸せそうで、宇宙に浮かぶ星々と張れるくらい輝いている。そんな姿を見れたことがとても嬉しくて、その衝動にまかせてこんなブログを作ってしまった。

……のはいいものの、なぜかっこいい小山さんを見て涙が出るほど嬉しかったのか、楽しそうにしている小山さんを見て心底安心したのか、こんなにも幸せをかみしめているのか。
それは、私にとって昨年のツアー”NEVERLAND”が、楽しかった半面、同じくらいかそれ以上にしんどいものでもあったからなのだと思う。

職種や性別を問わず、仕事のできる人が好きだ。想像力が幅広くて層が深くて、周りのことを考えたうえで、目標や目的を見失わず、最短距離を設定して、かつそこへ最速でいける方法を見出せる人。ちゃんと筋が通っていて、仁義がきれる人。先の先の先まで、いいことも悪いことも考えて準備ができる人。時には本意じゃないことでも、きちんとやり抜く人。そういう人を心底尊敬しているし、私もそんな風になりたい。

私は小山さんと同い年なので、小山さんの活躍を嬉しく思い、応援している気持ちでいっぱいな一方で同じくらい悔しいと感じることもある。これに関してはこじらせてるな、と自覚はしている。

NEVERLANDツアーの初日のことを今でもたまに思い出す。あの頃はTwitterでいろんな意見が絶え間なくといっていいほど投稿され続けていて、私はどんな顔をして初日公演に入ればいいのか、よくわからなかった。「なにがあっても、ステージはプロとして全うしてほしい」と願っていたけれど、それが叶わなかった時のことを考えるのが怖くて、とてもじゃないけどうちわは持てなかった。だからといって決して小山さんが嫌いになったわけでもなく、ただただもどかしい思いだった。

幸か不幸か引き当てたのはアリーナ席で、センターステージの少し後ろの、花道とリフターの中間くらいの場所。いわゆる”埋もれ席”のないアリーナ構成に「にゅすちゃんの愛を感じるね……」と言いながらも、ある種の「答え」が示されるまでのカウントダウンが始まってしまったことに心がざわざわしていた。

私の願いは、やっぱり……というとあれだけど、叶わなかった。オープニングでムービーが流れ、メンバーが映るとそれだけで歓声が上がる。もうすぐ、やっと推しに会える、そんな狂おしいほどの喜びや、これからNEWSが魅せてくれるNEVERLANDの世界への期待が溢れているはずの空間が、一瞬静まり返った。小山さんが映し出されているときだった。

会場がどよめいた。それでもコンサートは進行して、センターステージにNEWSが現れる。私の席から一番近い場所にいた増田さんは、満面の笑顔としか言えないくらいの表情だった。一方で、小山さんには笑顔がなかった。それどころか怯えているような目をしていて、表情は強張っていて、私はそれが、とにかくショックだった。

騒動の性質上、ああなることは容易に想定できたはず。それを超える現実に圧倒されたのか否かは私にはわからないけれども、「プロ」なんてお世辞にも言えない姿を目の当たりにしてしまった私は、あんなに近くの席を当てたのに、小山さんのことをまともに見ることができなかった。残念ながら「どんな時でも私は味方だよ!!」なんて微塵も思えなかった。そう思えない自分も少し嫌だった。

あの状況の中でステージに上がるのがどれだけ怖かったのか、それはきっと私の想像をはるかに上回る恐怖だったと思う。だけど、コンサートという場所では、例えば(規模感はぜんぜん違うけど)私が二日酔いでも客先でアポがあったら這ってでも行くように、本意じゃない仕事も無理やり笑顔で乗り切るように、きちんとプロとして仕事をしてほしかった。あの日あの場所にいた人たちが、コンサートをどれだけ楽しみにしていたのか、1年近く会いたくて会いたくて仕方がなかった、その気持ちを踏みにじられたとすら思った。
なぜなら、私が二日酔いだろうが、本当はやりたくない仕事だろうが、それは相手には関係のないことだから。

小山さんのソロが終わって次の曲へ移る時、小山さんが肉眼でも表情がわかるくらいの距離にきたのだけど、やっぱりその時も怒っているような、ふてくされているような、泣きそうな目をしていて、オープニングで生まれたもやもやとした気持ちが、少し大きくなった。
小山さんのソロでは席を立つ人もいたけれど、それを批判なんてできない。好きだからこそ見られないものだってある、と思う。ファンならなんでも受け入れろというのは、少し酷だ。

もちろんそんな状態がずっと続いたわけではなく、札幌初日から約2ヶ月あけて入った広島公演での小山さんには笑顔も増えていたし、札幌の時よりはうちわも増えているように見えた。けれど私はやっぱりもやもやしたままで、その翌週、東京ドームでのオーラスの「U R not alone」で号泣する小山さんを「気持ちはわかるけど、泣きたいのはこっちだよ」とぼんやり眺めていた。

24時間テレビはリアタイする気持ちにはなれなかったけど、録画はした。時間があるときは「チカラウタ」の番協に応募したし、当選したら素直に「嬉しい」と思った。収録時の小山さんは共演者の方々を気遣っていて「好き……」と思ったし、休憩時間の質問コーナーで言っていたカメラアプリは同じものをダウンロードして、それを使う時はいつも彼が使っていると言っていたフィルターを使う()。その日の夜は高ぶった気持ちが抑えられなくて、仕事の忙しい相方を呼び出したりもした。
だけど、雑誌やテレビで見る小山さんは、まだ目が死んでいるように見えた。どうにもこうにも、とにもかくにも、もやもやしていた。

それでも私は、今年の3月31日も札幌にいた。もちろんEPCOTIAツアーの初日参戦のために。今年もオープニングムービーから始まり、そのあとすぐにNEWSが現れる。1曲目はもちろんアルバムのリード曲である「EPCOTIA」で、物凄い熱狂の中、増田さんの歌い出しから始まり、加藤さんに続いて、小山さんのパートに入る。

そこにいたのは、プロのアイドルの小山さんだった。驚くほど上達していた歌声に、私は涙ぐんでいた。表情もどこか晴れやかで、何か吹っ切れたというか、一皮向けたというか、一段上に到達している感があった(上目線)。
なんて都合がいいんだ、と思われるかもしれないけど、不思議なくらい、あんなにも私の心に居座り続けていたもやもやは、そこにはもうなかった。

ツアーが始まる少し前に「いまボイトレを頑張ってる。コンサートではみんなを驚かせるから!」という旨のコメントの載った雑誌を見た。そんなの宣言しなくてもいいのに、ダメだった時の逃げ道を作らずに、有言実行してきた小山さんは、私の大好きな小山さんだった。歌だけじゃなくて、煽り方やソロの演出、ファンサービスもすごくよくって、かっこよくってかわいくって、楽しそうで、幸せそうな小山さんがそこにはいた。そんな自担を見れることが、なんて幸せなんだろうと思った。

札幌初日から3週間あけて入ったマリンメッセ福岡では、スタンド最後列だったにも関らず「…!?これ絶対私にだ……」というファンサービスをいただいた。最後列まで気を配って、あの長い腕をめいっぱいにあげて「一番上も見えてるぞーー!!」と言わんばかりに、笑顔で指をさしてくれた小山さんはまぶしいほどにキラキラしたプロのアイドルで、紛れもなく仕事のできる男だった。その事実が嬉しくて嬉しすぎて涙が出た。ほんの1、2秒くらいの出来事だけど「ああ、私の好きな小山さんだ……」と崩れ落ちた。

1年という期間が長いのか短いのかはわからない。それでも小山さんが示してくれた答えは、私にとっては完璧だった。


また先を越されたようで、どんどん上にいってしまうようで、それは悔しいし少し寂しいけれど、今はこの幸せな気持ちをかみしめようと思う。
自担の小山さんがはちゃめちゃにかっこよくて、かわいくて、楽しそうで、幸せそうで、キラキラしている姿を見られることがどんなに幸せなのかを知ってしまったから。